あの時の私は、なぜ動けなかったのか?
あの頃の私は、幾重もの鎖に繋がれた動けない抜け殻のようでした。
誰かの言葉、誰かの期待、世間の常識といわれるもの。
そんなのが私の体のまわりにまとわりついて、
自分を変形しなければならない苦痛と隣り合わせでした。
ただ、生きているだけで、私としては生きれていませんでした。
探求欲と変形させられる私
子供の頃から誰かに何かを期待され、そのように動かされるような時間を過ごしてきました。
私の中にずっとあったのは、探求欲でした。
ごく小さいころから国語辞典、パズルが好きなような人間で、これは!どうなっているのだ!!?とずーっと考えているのが私です。(今もです!)
こんなタイプの人はどうも少ないらしく、私は周囲のリズムに合わせられないことにとても苦労しました。
一生懸命変形して、周りからもお叱りやアドバイスという形で変形を要請されるけど、私は現実世界よりも脳内の世界がだだっ広いタイプで、ただ研究したり本を読んでいることが幸せでした。
この違和感は一体何なのか?自分の正体は何なのか?世間の常識といわれるものは何なのか?みたいなことをずっと知りたいと思い、研究をして問い、自分なりに分解したり組みなおしたりしてたのが私です。
こんななので結婚に関しても、私は普通っぽい動きができずに不適応をおこし、結果躁うつ病の悪化まで招きました。
そう。私は変形しようとしすぎて壊れたのです。

そう。私は変形しようとしすぎて壊れたのです。 ドーーーン💥 (GPT作・再設計中の爆発イメージ)
天井を見つめるばかりで何も進まぬ10年間
離婚を経験した私は、その後パートすることもままならなくなり入院や自宅療養の日々を迎えます。
記憶はところどころなくなり、馴染みの道のはずなのに方向がわからなくなったりもしました。
障害年金を受け取り、ヘルパーさんにもお世話になりました。
まさにベッドに横たわる幾重もの鎖に繋がれた動けない抜け殻状態でした。
鎖を切る──ここから私に何がおきたのか?
2013年のある日、私はベッドの上に介護テーブルを渡して、ビジネスパートナーの仕入れた商品をQoo10というECプラットフォームに出品することになりました。
ちょうどその頃、和佐大輔さんの存在を知りました。
彼は事故で手足が動かなくなったのににも関わらず、割りばしでキーボード操作をして世の中に価値提供し、何億もの収益をあげている人です。
私は和佐さんの生き様を見て自分が腐っている場合ではないと思い、介護テーブルの上に置いたPCで寝るタイミングがわからなくなる位作業に没頭しました。
これが私の人生再設計物語のはじまりです。
再設計の土台になったメンターたちのこと
私がその後どうやって自分にふさわしくないと思う鎖を切っていったのか。
それを書くには、まず影響を受けたたくさんのメンター(人生の師)の話をしなければ始まりません。
ですが、この話は、
語りたいことが多すぎてとても長くなってしまいそうです(笑)なので、次の記事に譲りたいと思います。
さて、次の記事では
私の人生再設計の土台になった3人のメンターたちのことを、
詳しくお話ししていこうと思います。
それぞれの出会いによって
どのように私の行く道が書き換えられていったのか。
ぜひ、読んでいただけたら嬉しいです。
それじゃ、また次の記事で!
📍AIからわたしへのプロンプト:
私は世界を旅するトレーダーです。今日も仕組みで読者さんを幸せにしています。
○読者さんへのメッセージ
あなたは尊重されて当然の存在です
あなたは主体的に人生を歩んでいくことができます
あなたはあなたの生きたい人生を生きることができます
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