5年日記の上段の2段がほぼびっしりと埋まった。
書き込んでいるのは、日々の気づきや今後役に立ちそうな学びなどが中心。
本の気になるフレーズや、YouTube視聴などで気になったこと、学んだことの要点、覚えておきたいことなど。
いわゆる日記的なものはほとんど書いていない。
夢の中から少しずつ醒めていった5年
この複数年手帳が好きです。(以前3年手帳を使っていたので、5年手帳は少し書き込むスペースが少なく感じはします)長いスパンでものを考えることができるようになるからです。
見返してみると自分自身のもがいてもがいた記録をみることができます。
書くという行為は癒しにも繋がっているようです。そんな文章を過去に見ました。
人に聴いてもらうことで気持ちが楽になったり癒されたりということは一般的によく聞きますが、書き出してみるという行為も人によっては癒しになるのかもしれません。
薬物がなくても軽躁転するようです
さて、精神の薬を辞めてから5年が経過しましたが、この1年は特別な1年でした。
薬物躁転ではなくナチュラルな軽躁転を短期間自覚しました。
そこと対応する鬱転もあったように思います。
そして、過去の自分に何が起こったのか、それに基づいて今後どうしていきたいのかということを考えに考えた1年でした。
断薬に成功したどなたかが書いていました。
離脱症状などがひどい時期をなんとか乗り切り薬が抜けると、次は今まで置いておいた課題と向き合う時期がやってくると。
今のこの心情で病院に行けば薬が出るのかもしれません。
でも、飲まなくても大丈夫でした。
症状らしきものが出てもそのままにしていても生活が破綻するほどの事態には今回なりませんでした。
服薬期間は想像以上に脳が眠っており身体は鉛のようだった
未完の課題に取り組む決意
そして、私に必要なのは、薬というよりは未完の課題に向き合い取り組むこと(余りに悪化した時には薬を全否定することはしません)。
薬で蓋をしてそのままにしていた課題に取り組むことだと思っています。
それは、お金を稼ぐということだけではなく、私にとっての大きな根本の課題である愛着の問題、それに伴っての自己肯定感や自尊心を含む問題のような気がしています。これは、通院していた頃より主治医からも教えていただいていたことです。
歳を経るにつれ、この愛着の問題はなくなっていると思っていましたが、どうもそうとはいいきれなかったようです。
それに気づき、そこの苦しさからの行動を抑制しようと考えることができている時点で以前の自分とは違うということなのですが、根本の苦しさを癒すためには自分で過去の自分のメンタルを癒していくという作業が必要なようです。
これが過去に境界性パーソナリティ障害とも診断されたことのある人間のその後の一モデルです(更年期の年代です)。※ちなみに最後の診断書にはパーソナリティ上の問題はなしと書かれていました
と、今の心情はそんな感じですが、睡眠も概ねとれているし、強烈な不安感・恐怖感なども襲ってくることはありません。
ぽっかり穴があいたかのような寂しさが時々きますが、これは愛着の問題だと思うのでベンゾ断薬などの反動とは無関係かと思われます。そういうものは結局は自分で解決するしかないと思っています。(過去の経験より一時解決できたように思っても結局はまた課題と対峙する時がくると知ったことからの教訓です)※ただ一気に解決というのは無理です。日々そのことを忘れず行動していきます。日々の小さな歩みが未来を変えていくことをもう私は確信をもって知っています。
自分は人として何かが欠落しているという考えがとても強くなる時があります。それはそれで仕方がないのですが、そんな自分でもいいんだそんな自分でも好きだってふうになれたら楽なのになと思うことはあります。
とは言いつつ、この5年手帳の最後の日に何を想っているのかというのも何だかんだ楽しみではあるので、無理せず生きていくこととします。
以上精神薬から卒業して5年経ち6年目に思うことでした。
またね( `ー´)ノ
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